【世界一受けたい授業】宿題『歯は無くなっても舌はある』の意味
「世界一受けたい授業」(2020/05/09放送)に『大河の一滴』の五木寛之さんが出演し、今だからこそ伝えたいことを紹介。さらに最後に宿題も出題されたのでその本意を調べてみました。
五木寛之さんが今だからこそ伝えたいこと
2020年5月10日放送「世界一受けたい授業」に『大河の一滴』の五木寛之さんが緊急出演しました。
①泣くのはいいけど泣きごとは言うな
五木さんは泣くことはむしろ推奨していますが、どんな時でもできることがある。できることからやっていくことが、今は大事だとおっしゃっていました。
八方塞がりでどうにもならないと思っていていも、活路はどこかにある。八方塞がっていても十方では無い。
~大河の一滴からのエピソード~ 昔の中国に清廉潔白な役人がいましたが、その正義感から逆に国を追放されてしまいます。 汚れ切った世の中を嘆き、川に身を投げてしまおうと思ったとき、漁師に「川の水が清らかに澄んだ時は自分の冠のひもを洗えばよい、もし川の水が濁ったときは自分の足でも洗えばよい」と諭されます。 たとえ濁った水でも自分の足を洗うには十分。濁水をただ嘆くなと伝えています。
自分がその環境の中で何ができるか考えて行動すること が大切です。
②本当に辛い時こそユーモアをもつ
笑うような状況じゃなくても笑った人物の方が厳しい条件のなかで生き抜いたというエピソードがいろいろとあるそうです。
~大河の一滴からのエピソード~ 第二次世界大戦時、アウシュヴィッツ強制収容所でフランクル医師は喜怒哀楽の人間的な感情が大事だと考え、毎日面白い話を披露し合った。 ユーモアとは単に暇つぶしのことでなく、人間の魂をささえていく大事なもの
③極限状態でもマナーやエチケットを忘れない
難しい状況の中でもちゃんと挨拶ができるとか、マナーやエチケットを忘れないことが、極限状態で生きていくうえで大事なことだと言います。
~大河の一滴からのエピソード~ C・Wニコルさんが南極でのテント生活中。身だしなみなどをほとんど考えなくてよくなってくる中でも、きちんと顔を洗って服装を整えて「おはよう」と挨拶し、食事のときに「いただきます」といいます。 こういう社会的なマナーを身につけた人は、厳しい生活環境のなかで最後までよわねを吐かなかった。
④自分はもうダメだと覚悟を決めた人間に「がんばれ」と言わない
励ましが通らない状況のときに「激励」「前向き」「励まし」「希望」の言葉は非常に無力に感じてしまう。
「がんばれ」と激励するよりも、相手に寄り添い、その人の苦しみを分かってあげることが大切だと五木さんは言います。
⑤人はみな大河の一滴である
大河の一滴とは本当にとるに足らない小さなものであるけれども、大きな水の流れを形作る一滴である。
宿題・老子が弟子に伝えたかった人生の真実とは?
番組最後に「大河の一滴」内で紹介されているエピソードから宿題が出されました。
~大河の一滴からのエピソード~ 中国の哲学者の老子に弟子が「人生の本質・真実とは何でしょうか?」と質問をしました。 すると老子は大きく口を開けて「歯はあるか?」ときくと弟子は「先生はご老人なので歯は一本も残っていません」と答えます。 次に「では舌はあるか?」ときくと弟子は「はいもちろん舌はございます」と答えます。 すると老子は「よし」とだけ言って去っていきました。
このエピソードから老子が弟子に伝えたかった人生の真実とは何か?というのが宿題です。
歯亡びて舌存す
「歯亡びて舌存す」ということわざがあります。
その意味は剛強なものが案外滅びやすく、柔軟なものがあとまで生き残るというたとえで、病気の友人を見舞った老子が、友人の歯が抜け落ちているのを見て「歯は堅いために駄目になったが、舌は柔らかいために残った」といったという故事に基づいています。
答えは?
ことわざである「剛強なものが案外滅びやすく、柔軟なものがあとまで生き残る」が宿題の答えのようにも思えますが、五木さんは「生かされる命をみつめて(〈自分を愛する〉編) 五木寛之講演集 (実業之日本社文庫…」でこのエピソードに関して語っています。
これは非常に謎めいた物語で、いったいなにを言おうとしたのだろうと、その弟子と一緒にかんがえさせられます。じつは私もまだ結論というのは出ていません。
~中略~
謎めいた雰囲気のなかになにかを感じさせる。その感じるものこそ、本当の意味でも真実というものではなかろうかと、こんなふうに思ったりもします。(生かされる命をみつめて(〈自分を愛する〉編)より出展)
この五木さんの言葉を読むと、答えは人それぞれであり、その考える時間こそが大切ということのようにも思えます。
番組内でも「答えを言わないのが大きなヒント」とありました。
そもそも人生の本質や真実を言葉で表すことができるとは思えませんし、この曖昧な、謎めいた雰囲気のなかに感じるものこそが人生の真実ということではないでしょうか。
ということで当サイトが出した宿題の答えとしては、 答えなんかないようであり、皆さんが考えたこと全てが答え という禅問答のようなものだとします。
皆さんもこんな時期だからこそ、色々と考えて見てください!