野口健が語る植村直己の魅力【オー!!マイ神様!!】
「オー!!マイ神様!!」(17/09/26放送)でアルピニストの野口健さんがマイ神と崇める植村直己さんの魅力を語りました。植村直己さんと野口健さんとのエピソートも含め、その魅力をまとめました。
「オー!!マイ神様!!」とは
出会ってからずっと心に居座り、尊敬し愛してやまない“マイ神”の魅力を伝える神様プレゼンバラエティー。(番組HPより)
MC
・田中裕二さん(爆笑問題)
・カズレーザーさん(メイプル超合金)
ゲスト・野口健
17/09/26放送のゲストはアルピニストの野口健さんでした。
1998年に25歳でチョモランマの登頂に成功し、当時の七大陸最高峰登頂最年少記録を樹立。
今の日本で最も有名な登山家ではないでしょうか。
マイ神・植村直己
そんな野口健さんが『マイ神』と崇めるのは、植村直己さんです。
著名な実績
・世界初五大陸最高峰登頂(1970年)
・単独北極圏到達(1978年)
・世界初マッキンリー冬期単独登頂(1984年)
植村直己さんがどんな人かは知らなくとも、「植村直己冒険賞」という名前は、聞いたことがあると思います。
野口健さんは、植村直己さんの著書に出会うことで、登山家を目指したそうです。
植村直己の素顔
そんな野口健さんが語る植村直己さんの魅力をまとめました。
生存本能がハンパない!
エベレスト日本人初登頂の前夜。テントの中でオナニーをしていた?
エベレスト登場前夜、寝袋の中でもぞもぞしたあと、一緒のテントにいた先輩に、ティッシュを借りたということです。
番組内では直接的な明言は避けていましたが、そういうことだと思います。
そして、次の日、初登頂がかかった朝、寝坊したとか(笑)
凄い生存本能です!
人一番の臆病者
これは、本人がおっしゃっていたことだそうです。
家ではグジグジしたりとか、臆病なことがないと、冒険家としてはよくないということです。
人間は1度しか死ねないから。
人への気遣いがハンパない
冒険家は、『俺が!俺が!』となりがちだが、植村直己さんは違ったようです。
野口さんが、ヒマラヤでシェルパ(登山案内人)の家に泊めてもらったときのエピソードです。
そのシェルパは、植村直己さんが登頂した際に、両手の指を凍傷によって切断。
しかし、そのシェルパの人は同じ日本人である野口さんに恨み言をいうのではなく、
「直己は、初めて僕ら(シェルパ)を人間扱いしてくれた外国人なんだ」「この指をみると、直己のことをいつも思うんだ」
と語ってくれたそうです。
当時、シェルパは人間として扱われることが無かったのですが、
植村直己さんは、彼らと分け隔てなく接していたというのです。
エベレスト日本人初登頂は先輩に譲っていた。
1970年のエベレスト登山の際、元々はサポート隊員として参加していたが、登頂のメンバーに抜擢。
松浦輝夫さんと共に日本人初登頂に向かった際、最後の登頂を先輩である松浦輝夫さんに譲った。
ですが、松浦輝夫は一緒に行こうと言ってくれたので、二人同時にエベレスト日本人初登頂を果たしたというわけです。
記録よりも仲間優先
共に登った仲間への戦利品を優先させいた
エベレスト初登頂を達成したあと、サポート隊員のために山頂の石を持って帰ることに。
そこで、荷物が多くなりすぎたので、NHKに渡されていた登頂の記録が詰まったカメラをそこに置いていったようです(カメラは別働隊が回収)
植村直己さんの知られざる人柄が伝わってきました。
植村さんの最後と、野口さん
植村さんの死に違和感?
植村さんの最後の日記には『何がなんでもマッキンリー登るぞ!』と書かれており、野口さんはその言葉に違和感を覚えました。
人一倍臆病であるはずの植村さんにしてはおかしな文面であると。
実は、そう書き示したのは、過去に2回の失敗があり、ここで成功をしないとスポンサーを獲得できないという裏事情があったからなんだそうです。
そして、野口さんも同じ状況に置かれたことがあったとか。
2度の失敗のあと、もう失敗できないと思ったとき、植村直己さんの自宅を訪れ、奥様に植村直己さんを送り出す時と同じように送り出してもらいました。
それによって野口さんは見事に登頂を果たしたそうです。
以上、植村直己さんを神と崇める野口健さんのエピソードでした。